寶生教の歴史
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御本宮

地頭屋敷

現在の山梨県南巨摩郡南部町内船のあたりは、昔から「地頭屋敷」と呼ばれていました。
文治元年(1185年)、源頼朝公が全国に守護・地頭を設置した際、佐渡の国八津郷の郷士「八津多聞左ェ門藤原時種(やつたもんざえもんふじわらのときたね)」がこの地に地頭職として着任し、地頭屋敷が建てられたことによります。
かつては内船区小字八津という地名でしたが、この地名も八津氏の名前に由来するものです。

内船五社

当地に着任した八津氏は地頭屋敷の戌亥(北西)に「御嶽神社」を創建し、所領安堵と天下泰平祈願の社としました。
丑寅(北東)の方向には鬼門除けの「天神」。
辰巳(東南)には恵方除けの浅間神社。午(南)にあたる場所には「豊受大神」。
酉(西)には、武運祈願のために「八幡神社」が祀られました。
これらを総称して「内船五社」といいます。

御嶽神社

御嶽神社では代々の地頭職が祭主として奉仕してきました。
世が変わり、地頭職が廃止されてからは、その後裔である山本家を中心に祭儀が行われてきました。


八津氏が御嶽神社の祭神としたのは「大己貴之命(おおあなむちのみこと)」と「少名彦之命(すくなひこのみこと)」でありました。
その後、御教祖は「元無極体天御中主国常立之尊産土之大御神(げんむきょくたいあめのみなかぬしくにとこだちのみことうぶどのおおみかみ)」を主祭神としました。
「大国主之命(おおくにぬしのみこと)」「事代主之命(ことしろぬしのみこと)」「天津児屋根之命(あまつこやねのみこと)」「天津大山祇之命(あまつおおやまづみのみこと)」を招聘し、寶生山八津御嶽神社(ほうせいざんやつみたけじんじゃ)と尊称されました。
この寶生山八津御嶽神社が、本教の御本宮です。
(文中の神様の名称は、御教祖の言い伝え通りとしました。)