御嶽神社では代々の地頭職が祭主として奉仕してきました。
世が変わり、地頭職が廃止されてからは、その後裔である山本家を中心に祭儀が行われてきました。
八津氏が御嶽神社の祭神としたのは「大己貴之命(おおあなむちのみこと)」と「少名彦之命(すくなひこのみこと)」でありました。
その後、御教祖は「元無極体天御中主国常立之尊産土之大御神(げんむきょくたいあめのみなかぬしくにとこだちのみことうぶどのおおみかみ)」を主祭神としました。
「大国主之命(おおくにぬしのみこと)」「事代主之命(ことしろぬしのみこと)」「天津児屋根之命(あまつこやねのみこと)」「天津大山祇之命(あまつおおやまづみのみこと)」を招聘し、寶生山八津御嶽神社(ほうせいざんやつみたけじんじゃ)と尊称されました。
この寶生山八津御嶽神社が、本教の御本宮です。
(文中の神様の名称は、御教祖の言い伝え通りとしました。)